日本語教育史 |
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2021年11月16日 |
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日本語教育の3つの時期 |
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近代以前:個人ベースで教えたり学んだりした時期 |
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大日本帝国の国策:植民地で行っていた時期 |
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戦後から現代: |
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日本語教育の授業を構成する3要素:砂沢喜代次 |
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教え手や・為政者からの観点 |
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学習者からの観点 |
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教材からの観点 |
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近代以前の日本語教育 |
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習言者:日本書記で、天武天皇の治世9年目に新羅から3人の習言者が来たという記録 |
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遣隋使・遣唐使には日本人の中国語学習者が同行 |
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何らかの理由があって、隣国で始まるのが普通。 |
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『伊呂波』:15世紀、李氏朝鮮で作られた文字教材 |
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『日本寄語』:16世紀、大陸の明で作られた語彙習などが有名 |
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※上古や中世の日本語教科書は、当時の日本語がどのようなものだったかを伝える |
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資料としての意味合いも有する |
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1549年:フランシスコ・ザビエル:イエズス会宣教師 |
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短期間に高い日本語運用能力を持つ人たちが現れる |
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「コレジオ」:イエズス会の日本理解の為の学校を作成し、組織的に教育。 |
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ザビエル来日から40年で、口語の日本語、「平家物語」が印刷される |
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『日葡辞書』:江戸幕府が開かれた時期。イエズス会によって、1603年から1604年に |
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(にっぽ) |
かけて長崎で発行された 。ローマ字表記の日本語見出しに対する語釈部分は |
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全てポルトガル語で記述され、約3万2000語を収録している。 |
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『日本大文典』:ジョアン・ロドリゲス:30年滞日して晩年はマカオへ追放された、宣教師 |
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による、日本語研究所。 |
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宣教師と大名との交際する上での手紙の文体や書式にも触れている |
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鎖国:150年間、日本語研究や学習は停滞した |
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オランダ通詞:幕府側のオランダ語を学んだ通訳を行い、相手に日本語を |
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覚えさせないようにした。 |
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漂流者:海難事故にあった日本人が日本語を教え始める |
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『日本語会話入門』:ゴンザレスとソーザがカムチャッカに流れ着き、 |
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ロシア科学アカデミーで日本語教師になり、多くの著作を書いている |
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黒船から開国の時代 |
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ドイツ人のヨハン・ヨゼフ・ホフマンが、宣教師ロドリゲスの著書を研究して |
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ライデン大学(オランダ最古の大学)の初代日本語教授となる |
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フランスの言語学者、レオン・ド・ロニーが、ナポレオン3世との謁見に来た |
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使節団サムライ、福沢諭吉などと親交を持ち、フランス国立東洋言語文化研究所 |
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の日本語初代教授となる。 |
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イギリスの外交官、アーネスト・サトーは横浜に着任して、大政奉還、 |
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廃藩置県、西南戦争から、日清日露戦争まで見届けて、膨大な著作集を残す |
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明治期 |
技術指導や教育をする外国人の来日 |
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B・H・チェンバレン:英語学・言語学の専門家で、日本語を研究して |
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アイヌや琉球、古事記の研究までしていた。 |
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清国(当時の中国)からの故国の近代化を目指して、早稲田・慶応・法政と |
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言った学校に多くの留学生が来たため、日本語教育が盛んになる。 |
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国際学友会:現在の日本学生支援機構のひな型 |
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日本語教育振興会:東京日本語学校創始者、長沼直兄(なおえ)も所属 |
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※国策としての日本語教育機関が作られるようになった。 |
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植民地での日本語教育 |
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伊沢修二:「総督府民生局学務部長心得」として台湾に赴任した。 |
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「仰げば尊し」など児童唱歌の編纂などを行った音楽官僚。 |
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非常勤の教員を雇い、音声や文法の教育を台湾でスタート |
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これが植民地日本語教育の始まりとなる。 |
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芝山厳学堂(しざんがん)は1896年抗日ゲリラに襲われ6名殺害 |
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再度50名の日本語教員を募集して、台湾に渡る |
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山口喜一郎がその中に含まれる。 |
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きちんと裏付けされた教育法を確立 |
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『グワン・メソッド』:幼児の言語習得過程を外国語教育に応用 |
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山口喜一郎:台湾から『グワン・メソッド』を持って、韓国・中国に移動 |
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満州でも速成学習型の教え方が歓迎されて、 |
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『オーディオ・リンガル・メソッド』に近い形の指導となる |
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学習者の読み書き能力を問題にしない話し言葉中心の教育 |
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キューを使ったパターン教育の実施。 |
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アメリカの対応:敵を知ることが価値に通じると考える |
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ASTP:Army Specialized Training
Program 陸軍特別トレーニングプログラム |
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少人数による徹底訓練がなされる |
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アーミー・メソッドの教授法が戦後、ジョーデン・メソッドに通じる |
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CA(コミュニカティブ・アプローチ)が登場するまでのアメリカの外国語教育 |
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の支配的な考えとなる。 |
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